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大日本神相学派琉家 陰陽師 神政館

社会全般についての考察

«死»

金子哲雄に学ぶ 40代からのエンディングノート10月2日に41歳という若さで逝去した、流通ジャーナリストの金子哲雄。突然の訃報に驚いた人も多かったが、生前に葬儀から墓の手配までを済ませていたことでも大きな話題を呼んだ。先日発売された著書『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』(金子哲雄/小学館)には、彼がどんな思いで余命宣告を受け止めたのかをはじめ、どのように“死の準備”に取りかかることにしたのかもつぶさに綴られている。

流通ジャーナリストの金子哲雄さんは、エンディングノート成るものを残していたそうだ。医者に死を宣告された事が切っ掛けかは実際ノートを見ていないので定かではないが、自らの死を悟った彼は亡くなった後の葬儀社や費用まで全て用意していたようで、生前に戒名も貰っていたらしい。

特に年寄りの中には、「自分が亡くなった時の事など考えないんだ。」だとか、「亡くなったら亡くなった時の事だ。」などと言う馬鹿が居るが、人生の最後になって周囲に迷惑を掛ける傍迷惑な生き方だ。葬儀費用が無かったり身内が居ない人でも、自分が亡くなった後の事を役所で聞けば教えてくれる。それくらいは、ノートにでも付けておくべきだ。

健康で夢を持って生きて行く事を子供たちに教える機会は多いが、やがて誰でも迎える死については、なかなか話をする機会を設けない。家族の間でも、祖父母や父母に気を使って死については話せない家族もいるだろう。

一度でも死を感じさせるほどの大病を患った経験を持つ人達は、死に対する意識が変わるようだ。死を間近に感じる事で、人生を改めて考え直す機会に恵まれる。そういった意味では良い経験をしたと必ず口を揃えて答えるようだ。

私の場合は、常々家族に人間は何時か死ぬんだと口癖のように言っている。たとえ子供であっても、両親よりも祖父母よりも早く死ぬ事があるように、何が起こるか予想が付かないのが人生だ。人が生まれると必ず誰にでも訪れるのは死だ。寿命は長い者もいれば、短い者もいる。因縁が加速している現代では、子供が親より早く亡くなる事も考えておいたほうが良い。人に死が訪れるのは想定内の筈だ。私の家族や身内の場合は、ある程度の死ぬ時期は教えてやれるので、亡くなった後の処理は心の問題も含めて心配ないが、普通の家族はそうも行かない。

成人(二十歳)にもなれば、ひょっとすると明日自分は死ぬかも知れないと、覚悟を決めて人生を歩んで行きたいものだ。医者如きに不治の病を宣告され命の時間を切られても、ジタバタするような見苦しい醜態を見せない生き方を選んで欲しいものだ。

死についてあまり考えない人に限って、いざという時に泣き言を並べて死ぬのが怖い人が多いようだ。死ぬ事はたいした事じゃない。誰にでも出来る事だ。どちらかと言うと自分にとっての元の世界(四魂の世界)に戻る事でもある。死はその為の手続きに過ぎない。宇宙船(肉体)を降りる(抜ける)下船手続きだ。

死が怖い理由は、他にある場合もある。死後魂が行く世界が怖い場合だ。簡単に説明すると、死後魂の行く世界は、今回の人生を送るに至った理由のある世界に行く事に成る。もちろん今回の一度の人生だけで、死後に行く世界を断定するには無理があるが、それも含めて自業自得なのだから、何も恐れる必要は無い。

今生の人生の府君庁による評価と、四魂の因縁に見合った世界に行き、次の転生を待つ訳だ。転生待機の場所にもまた、人生があり、そこでの死とは人間の肉体に転生する日の事だ。死とは即ち生まれ変わると言う事でもあり、生を受けるという事でもある。

私はせっかちだから、出来れば四十歳くらいで死ぬ方がいいと思っている。一般的にもう一つの死が怖い理由は、死に方の問題だろう。病気で苦しく痛い思いをして死ぬのか、家族や他人に迷惑を掛けながら下の世話までして貰って死ぬのか、全身が麻痺して何年も動けなくなって死ぬのか、そういった死に方に恐怖心があるようだ。

10年間寝込んでも、日本人の平均寿命から考えたら七分の一くらいだし、別にいいじゃないかと思う。まあ、何十年も寝込んで死ぬ者や、身体にメスを入れるなど、痛い苦しい思いをして死ぬ者には、それを味わって貰わなければならない理由がある。それを良い機会と捉えて最後の悟りの道に使えば良いだろう。

神政館を一人でも多くの縁者と縁を繋ぐ方法として、ブログ読者には手を煩わせるが、神政館のサイト〔螺神梁サイトを含む〕・ヤフーブログ両方に記事を書く事にする。


陰陽師・神政館 館長:山下款二