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大日本神相学派琉家 陰陽師 神政館

社会全般についての考察

«情報化社会の盲点»

情報を活字だけで得ると、更に信憑性が増し出鱈目や嘘を信じてしまう。自分でわざわざ検索して得た情報は特に鵜呑みにしてしまう。人にも四魂にもレベルはある。世界の人口は今や約68億人と言う調査結果らしいが、当然その頂点に立つ知性の持ち主が居るし、その逆に最も知性の低い68億番目の人も存在する。

雑誌や掲示板の書き込みなどで得た情報に、匿名で注釈を入れるような連中やそれを鵜呑みにする連中は、最後から数えたほうが早い位置に属している最も知性の欠けた連中だ。その下には、知性の欠けた連中の情報に安易に振り回される連中が控えている。

中国や韓国が反日デモを繰り返すように、知性の欠如した人々は世界各地にも存在する。しかし、支配階級が人々を操作する時には、知性の欠けた連中は最も扱いやすい。向かせたい方向に情報を流せば、直ぐに反応してああだこうだとネットで騒ぎ出すからだ。随分前にも言った事だが、知性のある人と無い人の比率は、広義でも狭義でも圧倒的に知性の欠けた人が大半を占めている。先に述べた連中ほど低レベルでは無いにせよ、読者の大半もこれに属している筈だ。まかり間違っても知性のある人は一人も居ない。だからこそ、知性と言うものをもっと深く知り、知性を磨く事に努力を傾けてみてはどうだろう。

知性(ちせい) 広義では感覚的な知覚作用をも含めた人間の認識能力をさすが、狭義では知情意のうちの知の能力が知性で、感情や意志と違って、事柄を概念によって思考したり認識したりする悟性的な能力をさす。また中世や17、8世紀の西洋哲学では、すべてを一瞬のうちに直覚的に洞察する神の無限的な知性に、概念を用いて比量的にしか事柄を認識できない人間の有限的な知性が対置された。「真理は知性と物との一致である」という中世以来の伝統的な真理規定も、初めは神の知性によって計画され、創造された自然の秩序に、人間の有限的知性が合致することを意味していたが、近世以来人間の知性の側に重心が置かれるようになり、事物は人間知性に合致する限りにおいて真とみなされることになる。なおプラグマティズムのように、人間の知性も動物に備わる知能の延長で、与えられた環境に適応する能力にほかならないという見方もある。

ネット上にある、1.ウィキペディア【Wikipedia】を情報源に利用する事は私自身もある事だが、此のウィキペディアも実のところ信用性の高い情報とは言えない。広辞苑や百科事典であっても同じことが言える。じゃあ何を信じれば良いのかと言う事に成ってしまうが、広辞苑や百科事典やウィキペディアは参考資料であって、自分にとっての真実は、自らが見て触れて聞いて感じ取った物事だけが真実だ。

広辞苑や百科事典やウィキペディア等の資料を嘘や偽りとは思っていないし、真実に近い情報には違いない。話を戻すが、活字の情報と言うのは、それを書いた人の人物像や人柄が見えにくいところに落とし穴がある。

私が書き始めた当初のブログを見た事がある人は解ると思うが、私自身の写真を数枚掲載していた時期もあった。サングラスの写真に関しては、昨日の記述の通り写真嫌いなので勘弁して欲しいが、顔写真に住所、神政館事務所や奥の院の写真、私自身の自己紹介や性格趣味に至るまで、出来る限りの情報を書く様に努めているのも、可能な限り活字だけに頼らずに情報を与える事が使命でもあるからだ。写真を大きく載せてうぬぼれの強いナルシスト(自己陶酔型人間)だと感じた人も居るかと思う。まあ、満更当たっていなくも無いのかも知れない?。

人物がわかっている人からの情報よりも、何故活字の情報源の方を人は信じやすいのか?それは活字だけの情報源は、その発信者の人柄や性格を自分の好みに置き換える傾向があるからだ。文章から受ける感じが誠実そうだと、誠実な人を思い浮かべながら読んでしまう。いい加減な嘘つきが書いても文字だけの情報だと信じてしまう傾向が強くなる。

もちろん、文章を書いた本人を知ることで、嘘の情報を信じてしまう事も多々あるが、テレビなどでも好感度が高いタレントさんの発言は心理的にも信じやすいのも確かだ。お茶の間でテレビを通して見るタレントというのは、あくまでも直接会ってみた人ではないので勘違いをしやすい。タレントはあくまでもテレビ用に作られた連中、言うなれば単なる看板の様なもので、その人の人柄とは大きく懸け離れている事を知っておいた方が良い。

事実彼ら(タレント・有名人)がトラブルを起こした時、普段の言動や意見からは打って変わって、とても常識では考えられないような行動や対応や発言をするように、常識人から比べると知性的と呼ぶには程遠い連中の集まりだ。

情報を安易に手に入れやすい現代社会において、何が真実かを見抜く方法は他に幾らでもある筈だ。活字だけに頼らず、角度を変えて多方面から観察する目を養っていただきたい。

神政館を一人でも多くの縁者と縁を繋ぐ方法として、ブログ読者には手を煩わせるが、神政館のサイト〔螺神梁サイトを含む〕・ヤフーブログ両方に記事を書く事にする。


陰陽師・神政館 館長:山下款二