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大日本神相学派琉家 陰陽師 神政館

霊能者・宗教教祖の考察

«霊能者・宗教教祖の最大の欠点»

先日、ブログで告知した事で、神政館・螺神梁の両サイトのアクセス数が急上昇し、神政館は初めて二百人を超えた。縁の無いブログ読者を振るいに掛けるには、告知は必要ないと思っていたが、偶然自分の携帯でブログを確認するとPCの表紙と違っていたので再度告知した次第だ。

神政館アクセスカウンター

螺神梁アクセスカウンター

霊能者・宗教教祖など霊的な事に携わる連中は、私以外はどいつもこいつも悪因縁の塊と一言で切り捨ててもいい連中ばかりだ。今回は霊能者・宗教教祖の最大の欠点と言う事だが、連中は欠点が服を着て歩いているようなものだから、最大も何も無いが、それでも敢えて幾つか挙げてみようと思う。

一つ目には、霊能者・宗教教祖と言った連中は各々思い込みが激しく、霊能者・宗教教祖だけの偏った価値観に適うものが神仏で、霊能者・宗教教祖の価値観から外れたものは魔と言う扱いにしているのが実態だ。つまり自分の価値観と合わないものはもちろんの事、自分の利益に繋がらないものは全て魔として考えている。

此れは自称霊能者を名乗るものでもそうでないものでも基本的には同じ思考回路を持っている。自分の理に適わない事を受け止める向上心や勇気は欠落していて残ってなどいない。従って、幾ら過去世で私と縁が結ばれるだけの条件を満たす徳を積んでいる霊能者・宗教教祖であっても、この思考回路が邪魔をして疎遠に成らざるを得ない訳だ。

言っておくが、私と縁が結ばれる縁者に於いては神政館はもちろんの事、螺神梁の縁者〔顧客〕にしても、九割以上はその人の人生計画の中に仕組まれた縁だ。従って守護霊がしっかりしている事と、四魂が普通の人よりもしっかりとしていて守護霊との意思の疎通が凡人よりも良い事が条件の一つだ。此の条件を満たしていないものは、私と縁を結ぶ事は不可能だ。

それでも時々、神仏の世界での地位が自分も少しは高いと勘違いしている霊能者も居て、その思考回路のまま私と縁を持とうとする霊能者が少なからず存在する。そういった連中には、ズバッと真実を突きつけてやるが、大半は耐え切れずに逃げてゆく。

守護霊と言うものを神政館に鑑定して貰って、その守護霊が第四から来ている意味を取り違える者がいるようだ。自分の成績が良いから守護霊が就いていると思ったら大間違いだ。もちろん守護を貰えるだけの徳があるのも事実だが、大部分は神政館の元へ繋げる為に守護霊は奔走して、その役目を果たす目的の為に就いている訳だ。私が守護霊が「就いて」いるという漢字を当てているのも、神社の尊霊や霊格の高い先祖たちが、「任務に就く・職務に就く」と言った意味合いがあるからだ。

霊能者・宗教教祖の最大の欠点の二つ目は、気が小さい〔器量が無い〕事だ。自らを正す器量に欠ける事だ。都合の悪い事が起こったり、器を越える事案が目の前にきたら嘘を平気でついてしまう。最も性質が悪いのは、自分自身にも嘘を言い聞かせて真実にしてしまう傾向が強く、些細な嘘は日常茶飯事に口から出てしまう。嘘は泥棒〔詐欺師〕の始まりとはよく言ったものだ。私の縁者の中にも些細な嘘を付く濃い縁者が居るが、全てお見通しだ。

今生、私と縁を結ぶだけの条件を満たしている訳だから、悪い人間では決して無いが、身体に染み付いている垢と言うのは中々拭えないものだ。此れを読んでも自分自身とは気付くまい。それだけ四魂にも染み入っている証拠だ。

最後に三つ目の欠点は、人当たりが良く優しいことだ。彼らは口を揃えて、神仏は優しい人や善人が好きで素直に願いを言えばそっと力を貸してくれるだとか、どのような罪も悔い改めれば許してくれると嘯く。

似通った悩みを持つ相談者や信者は、お互いの傷を舐め合うことで生きる勇気を貰えるらしい。このように霊能者・宗教教祖は、因縁と正面から向き合う事が出来ない実におめでたい連中だ。くれぐれも甘い言葉や甘い誘いには乗らない事だ。


陰陽師・神政館 館長:山下款二